「Kカルチャー」
<書評> 『霧晴るる日まで』 岩田たまき著
全てはこの一言から始まった。「たまきさん、交換ノートしない?」
一九五七年、八歳年下の卞元守から作者である岩田たまきに突如として投げかけられた提案。この時、元守は弱冠二十歳。一家は安住を求め各地を転々とするが、朝鮮人であることで差別 され生活は困窮していた。加えて元守は肺浸潤を病み、高校退学を余儀なくされる。しかし彼は決して苦境に対し卑屈ではなく、透明感あふれる青年として精彩 を放つ。
その一年前、たまきの通っていた洋裁学園でこんな出来事があった。当時の洋裁学園とは花嫁修業の一環であり、技術を身につけ社会的な自立を目的とするたまきは常に輪の外であった。休み時間、華やかなクラスメートたちが何気なく口にした一言。「朝鮮人と結婚する?朝鮮人はねぇ・・・」そんな発言をしたクラスメートに対し、やんわりと指南したたまきではあったが、自分でも釈然としない。「朝鮮についてどれ程私が知っているのか。もっと知りたい。」
キリスト教者であるたまきはあぐねて、この日の出来事を牧師に相談すべく教会へと向かう。そこに偶然にも同席していたのが元守であった。たまきが鬱々とした胸中を牧師に吐露すると、元守は握手を求め、こう言った。「ありがとう。僕たち朝鮮人のことを考えていてくれて。朝鮮を知って下さい。」
それから約四年間に渡り、お互いの愛の問題や生活の懊悩を思いつくまま記した交換ノートを通 じての交流は続く。
〈たまきさんへ〉
『自分に高校へ行けなかった劣等感があれば、また職業のうえでも技術がないというなら、また健康ではないというのなら、愛する資格も愛される資格もないわけです。そうではないでしょうか。』
〈元守さんへ〉
『私は海を見るたびに、海の向こうの国までは考えたことがなかったけれど、元守さんを知ってから海に対する想いは変わってきていた。若い元守さんの希望が海の向こうに結ばれるその日まで、私はあなたのいい友でいたい。』
しかし一九六四年、元守からの「共和国に帰る」という手紙を最後に音信不通 となる。てっきり既に帰国し、現状況では再会もままならないと半ば諦めかけたたまきの元に、再び元守から手紙が届く。元守は日本にいたのだ。実に二十八年余りが経過していた。そして二人は三十六年ぶりに再会を果 たす。たまきは六十六歳、元守は五十八歳になっていた。実話である。
作者、岩田たまきは著述を生業としていない。洋裁士だ。故に正直、その描写 の地味さに歯痒さを感じる箇所もあった。技巧的でなく素直な言葉が淡々と連なるタッチに、ドラマチックさを求める欲求は肩すかしをくらい煩悶とする。元守が帰国を断念する背景とは?元守の母が服毒自殺へと駆りたてられた経緯とは?そこは言及してほしい。私はにじり寄る。しかしたまきは無言のまま。その姿は、お互いの全てを詳らかにせずとも二人の絆は強固であると、泰然自若とした余裕すら感じさせる。
たまきは声高らかに言う。「個人レベルの小さな交わりが、より理解を深める」と。そうだ。たまきもノートに記していた。大切なあの人を深く知りたいから、海の向こうに思いを馳せる。想像する。
二人の軌跡は決して派手ではない。もどかしいほど素朴。そして堅実。一切の虚飾を省き対座する。だからこそ、二人の友情は一過性のものではなく、国籍・性別 ・年齢・時間・空間をも物ともせず、清福なものへと昇華したのであろう。
(姜華林/東京)
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