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K-magazine 第6号
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MESSENGER 古今亭菊千代さん

―菊千代さんと私の出会いは去年のピースボート南北コリアクルーズでした。南北コリアで菊千代さんはハングルでの落語をなさいましたが、そのきっかけは?

 一昨年、NGOピースボートからお誘いを受けて、まず北朝鮮に行きました。その時は言葉も全く分からない状態でしたが、何かをやってくれと言われたので、「南京玉 簾」をやりました。これは私の本業ではないんです、余興ですから。仲良くなった人たちに「本業は落語家なんですよ」と告げると、「今度はそれを聞かせてください」と言われて。ここでどんなものを見て、どんな人と会って、どんなことを感じたのか、喋るのが仕事なんだから日本へ帰ったらどんどん色んな人に伝えてくださいねと。それがとても嬉しくて、今度はこの人たちに落語を聞いてもらいたいと思ったんです。 一昨年は五日間ほどピョンヤンに滞在したのですが、元山の港で分かれるときは情が移ってとても悲しくて、また絶対来るからと言って別れました。

 古今亭菊千代がまた行くためには何かをやらなければいけない。私は落語家なので落語をやるしかない。だから今度来る時は落語をやると約束しました。

 去年またお誘いがあって、じゃあ約束通り落語をやろう、と。本当に単純に、仲良くなった人たちに私の仕事を見てもらいたい、落語というものを分かってもらいたいと思ったのがきっかけでした。

―南京玉簾をやった時の反応は?

 すごくウケました。最初担当者の雰囲気は、日本からの出し物はあまり興味ないという感じでした。さっさとやってくれと言わんばかりの感じで、怖かったですよ。「八分もかかるのか?」なんて言われたりして。でもやり終えたら物凄くウケて、担当者も「良かった!良かった!」と大喜びしてくれました。 ―目で見て分かるものですからね、南京玉簾。

 船の中で総連の人たちに北での代表的な建物とか、そういうことを事前に聞いておいたんですね。主体思想搭や玉 流橋、そして普通門。この三つは覚えておいたんです。日本でやるときは「東京タワー」というところを「主体搭〜」と言いながらやって見せると、「おお!」と喜びの歓声が上がりました。

―受けたでしょうね。想像つきます。

 「あ、さて、あ、さて、さては南京玉簾」と掛け声をかけながら始めるんですけど、どうやら通 訳の人は「あ、さて」を「あさって」だと思ったらしくて、ずっと「モレ(明後日)」と訳していたらしいです。「なんでそれを早く言ってくれないのよ!」って。(笑)

―ピョンヤンの人は明後日何かがあると思っていたかもしれませんね。(笑)そういう人との出会いがきっかけとなって、ハングルで落語をやることに?

 新聞などの取材では、よく「南北の統一を願ってのことですか」「日本との友好のためですか」と聞かれるんですけど、ただただ私は自分の落語を聞いてもらいたい、そのためにはその人たちの分かる言葉で喋らなくてはいけない、それがたまたま朝鮮だったから、そこでお友達が出来たから朝鮮語でやっただけなんです。もしそこがフランスだったらフランス語でやったでしょう。

 日本と朝鮮は考え方も似ているので、落語も分からないはずがないと思ったし、日本の文化を向こうの若い人たちにも見てもらいたいなぁと思って。

―北朝鮮はあまり行く機会のない国ですし、日本では様々にバイアスのかかった情報がたくさん入ってきます。韓国は身近に感じられても北朝鮮はあまりいいイメージで伝えられていませんよね?

 正直に言うと、一昨年行く前は、怖い国というイメージがありました。ただその時は南北首脳会談後という時期でしたし、私個人も真打になって八年が経っていて、自分の持ち味を出したいと思う時期でもありまして。

 芸人というのは普通は政治色やカラーなどを出さずに、例えば政党なら自民党が好き、共産党が好きと言わずに、どこの党も好き、どこの党でも呼ばれたら行く、神社も教会も呼ばれたら行くという風にしないと、ダメなんですよ。お仕事をもらっていくためにはね。でも、それほど多くない女性の噺家の中で、どうせこれから世の中昔ほど仕事があるわけじゃなし、だったら自分のカラー、主義を前に出して活動していくことも、一つしかない人生の中で世の中のことを話す噺家としていいんじゃないかなぁと思っていた時期でもありました。ちょうど二一世紀を前にして、私に転機を与えてくれるのではという気持ちがあったんです。だから行ってみよう、と。

 それまでは海外など行きたいとも思っていなかったし、日本も全部知らないくせに、なぜに海外?と思っていました。

 北朝鮮に行くと言ったら、周りの人が大丈夫か、ちゃんと帰って来いよ、と言います。私も合わせてたんですけど、行ってみたら思っていたのとは全然違ってた。そりゃあ、どこまで知ってるのか、どこまで見られたのか、それは私には分からないけれども、でも、生身で出会った人たちは普通 の人で、平和を願っていて、仲良くなりたくて、同じ顔をしていて、日本語の上手な人もいて、何の障害もないわけですよ。しかも、北朝鮮で出会った人たちは、日本の政府は良くないけれども、あなたたちは違います、あなたたちには何の恨みもないし、仲良くしましょうって言うんです。私を送ってくれた日本人たちと、迎えてくれた北朝鮮の人たちとでは、言うことが全然違う。そういうのを見ると、私などはマスコミに操作され過ぎていたのかな、って思いましたね。

 何度もある場所でお辞儀させられて嫌だという人もいましたが、私はそれが旅じゃないかな、と思うんです。その国に行けば、その国の流儀に合わせる。日本人はそれをしなさ過ぎる。国ごとに仕組みとか約束ごと、してはいけないことがあるんです。「日本では平気なのに、なんだこいつらは」、なんて言ってること自体がおかしいわけで。北朝鮮に対しては殊更に偏見を持っていると感じました。

 日本でも、アメリカでも、どこでも上に立つ人たちがおかしいというのはあると思うんですよね。その国の人全てがその国の主義に賛同しているわけではない。苦しんでいる人だって一杯いる。私だって今日本でとっても悔しい思いをしています。

―去年はいよいよハングルで落語をなさいました。セリフは丸覚えだったんですか?

 丸覚えは絶対無理ですよ。

―見た感じは全部暗記していたようですけど?

 勿論、暗記はしました。でも意味を分かってないと、セリフが抜けたときに後から挿入できないじゃないですか。だから覚え方としては、最初に落語を原稿にして、知り合いに訳してもらう。その時点では私は全くハングルが分からなかったので、読み仮名をふってもらっていました。その時は丸覚えしかないかなと思いながら、自分で本でも買って発音練習でもしようと思ってたんですね。でもやっぱり不安で、NHK文化センターに入って勉強し始めたんです。

 原稿を見ても、どの言葉がどの訳語に対応しているかも分からない。感情移入って、言葉の意味が分からないとどうすればいいのか分からないじゃないですか。どう区切ったらいいのかも分からない。それで自分でも訳してみようと試みたんですけど、全く分からない。(笑)

―それは無理です。(笑)

 まず一から発音を勉強し始めました。そのうち振り仮名が邪魔になってきたので、次は振り仮名を修正テープで消して。

 先生にマンツーマンで教えてもらえることになってからは、何がどの言葉にあたるのかを教えて頂いたんですけど、そこで最初の訳が一言一句丁寧に訳されていることが分かったんですよ。ハングルって日本語と文法がほとんど同じなので、対応する言葉をしっかり覚えていけば大丈夫だということも分かりました。「チャネン」と書いてあるのは「お前は」という意味だな、という風に。

―このノートを見るだけでも、すごい勉強量ですね。

 落語ってなるべく説明を少なくしていくんですね。でもあまりにもちゃんと訳してある。「お役人が微笑んで言いました」というところまで。表情で微笑を表せばいいわけだから、この単語はいらないな、という風に今度は削る作業に入ります。それを先生に録音してもらって、繰り返しテープを聞きながら覚えました。噺家になって、というより、生まれてこの方、初めてあんなに一生懸命に勉強しました。

―観客の反応は?

 ピョンヤンでやった時は、私自身は反応は全くわからなかったですね。

―写真で見る限り、会場が広くてやりにくそうですね。

 見ていた人たちによると、ピョンヤンの人たちは初めはどうしたらいいのか戸惑っている感じだったそうです。クスクスと遠慮がちに笑っていたのが、最後は喜んで笑っていたと聞きました。通 訳の方が、日本からの参加者に帰りのバスの中で「あんたたちはさっきの菊千代さんの落語がちっとも分からなかっただろう。これから説明してやるから」と言って一席全部話してくれたんですね。ほんとは船の中で日本語で事前にやっていたんですけど。(笑)

 落語を終えた次の日、ガイドの人たちの態度は全然違いました。昨日は楽しかったねって言ってくれて。

―私は韓国から合流し、地雷原でのオプショナルツアーで通 訳を務めたのですが、菊千代さんの落語の前と後では全然雰囲気が違いましたね。

 そうですか?でも、怖かったですよ、あのお爺さんたちの前でやるのは。凄いしかめっ面 して、睨むようだったでしょ?

―あれは緊張しましたよね。

 最初は机の上とか高いところでやろうと思ってたんだけど、この雰囲気はまずいと思って、同じ高さで膝を突き合わせて。だって、あそこでは若い人はお爺さんたちとは酒の席で一緒に交わらない、若い人はお爺さんたちと同じ席にはつけない、なんて言ってたじゃないですか。あの日も若い人たちは別 室でずっと待ってたし。

 どうにか笑いもでて、無事終えることが出来たんだけど、そのあと質問が飛び出したり。その質問の仕方が、また怖かった!ガーガーガー、って!(笑)

―あのコワモテのお爺さんたちがついには笑ってましたからね。私は「菊千代さん、天晴れ!」と思ってました。

 ピースボートもちゃんと説明しないもんだから、終わったあと、「ところでアンタたちは何しに来たんだ?」なんて言われちゃって。(笑)

―本音を言えば、やりづらかったでしょうね、あの状況は。

 やりづらいですよ〜。だって散々地雷原での苦労話とか聞いて、日本からの参加者も遠慮せずにやいのやいの質問を浴びせて、重い雰囲気の中で「じゃ、ここで落語をどうぞ」って。(笑)

―あれは去年の九月の初めでしたよね。ちょうど韓国では教科書問題で反日感情が高まっていた後でしたし、ましてや田舎の保守的な村で、なかなか着物を着て出歩く人っていないと思うんです。あの時は言いませんでしたが、正直、「大丈夫かな」と心配でした。地雷原の村を歩く時も行き交う人たちが「なんだ?」という視線で振り返りましたし。菊千代さんはニコニコしていて意に介さないようでしたが。

 鉄原に行った時、「あ、着物!」という風に好意的に接して下さる方がいたんですよ。だからここでは大丈夫なんだ、と思ったんですよね。

 実はピョンヤンでは、李さんという女性の方に「良い悪いは別として、この国は着物というととても悪いイメージがあるから、菊千代さんが着物を着ているのはとても損だと思う。特に家庭訪問をする時は、着物じゃない方が良いと思う」って言われてたの。去年は私は着物しか持っていかなかったんです。だから李さんには「仰ることは良く分かる。でも私は着物が大好きだから、私の気持ちとしては着物を着ている日本人の中にも悪くないのもいる、着物を着ている優しい、良い日本人もいるんだよということを分かってもらいたい。だから、私は着たい」と言ったんです。

 鉄原では着物の私に好意を持って接してくれる人がいたので、ここでは大丈夫なのかなぁと思ったんです。でも正直言うと、そんなことを考えている余裕がなかった!落語のことで頭が一杯で。もう、胃が痛くて。せっかく初めての韓国だったのに、辛いものも好きになったのに、全然食べられなかった。

―緊張感からずっと体調を崩してましたよね。あまり食事も召し上がってなかった。着物イコール云々、というイメージが確かにあって、私も初めは時期的にこの格好は大丈夫なんだろうかと心配しましたが、完全に杞憂でした。菊千代さんの居住まい、佇まいから人柄が出たとでも言いましょうか。韓国の人も感じ取ったと思います。お爺さんたちが怒っているみたいだったとのことですが、ぶっちゃけた話、韓国のお爺さんたちって、なに言っても怒ってるみたいに聞こえるんですよ。よくよく聞いてみると怒ってないんですよね。逆に誉められてたりして。分かりづらい。(笑)

 怖い顔して質問するから何を聞いてるんだろうと思ったら、「日本にも孝行門と呼ばれるような、孝行者を祭った門はあるのか」って聞いてたんですよね。

―あの笑い話を披露することで重要だったのは、内容を理解出来たかどうかや、単にハングルでやったことが偉いなどというレベルではなくて、そこで笑いが出るかどうかだったと思うんですね。凄んで睨んで聞いていたけど、最終的には笑っていました。それが私は嬉しかったですね。あのお爺さんたちにとってこれからの人生、この出会いがどういう意味あるものになるかは分かりませんが、いずれにしても村の人にとっても貴重な体験だったと思います。

 初めはピョンヤンとソウルで行う予定だったんです。ですが、どうやら会場がピョンヤンの時よりもさらに広いところだったらしくて。それで急遽地雷の村、テマリ村での落語ということになったんです。初めての韓国だったんですが、いきなり地雷のテマリ村。

―早いうちに、その韓国イメージを払拭できるよう願ってます。(笑)

 いや、いや。(笑)本当にいい経験させて頂きました。

  −後略−


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