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K-magazine 第6号
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<書評>
「ソウルの風景」 四方田 犬彦 著

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 ページを開く前、『ソウルの風景』には、街に溢れるハングル文字、人々の活気に満ちた市場、日本式に慣れた者から見ると傍若無人とも思える交通 マナー、そして唐辛子の辛味とニンニクの匂い、おそらくそんな世界が広がっているという安易な先入観が私にはあった。まず、それを訂正しなければならない。本書はそんな一般 的なソウル案内記とは明確に一線を画すものであった。

 二〇〇〇年夏、筆者は韓国の大学に客員教授として招聘され二十世紀最後の数ヶ月をソウルで過ごすこととなる。二十一年ぶりの長期滞在であった。副題に〜記憶と変貌〜とあるように、七十年代のソウルを体感したことのない私にとって、筆者が語るソウル今昔比較論はまるで「他国」であった。

 私はここに筆者独特の二つの観念を特筆したい。

 一つ目は、この印象記が全編を通じ皮膚感覚に根ざした洞察力に秀逸している点だ。なにしろこの四方田氏、そうとうフットワークが軽い。例えば、旧盆の秋夕(チュソク)の時期には知人の本貫にまで赴き祭儀に参加したり、元慰安婦が水曜ごとに日本大使館前で抗議活動を繰り広げる「水曜集会」を見学し、その足で元慰安婦たちに同行し、彼女らの宿舎「ナヌムの家」を訪問する。このようにパワフルで意表をついた体験記が続く。しかしどの体験記も単に生の声の集大成では終わらず、そこには学者としての独自の見解も備えている。元慰安婦を総じてハルモニ(お婆ちゃん)と表現することは「歴史的な体験の生々しさを一般 的なヒューマニズムの名のもとにし馴致(じゅんち)してゆく過程の一こま」と捉え大きな抵抗と危惧感を寄せている。

 二つ目は、映画史研究家ならではの視座である。何がしかのテーマを語るとき、そのテーマに順じた韓国映画を紹介し、社会を浮き彫りにさせている。南北問題に関していえば、六十〜七十年代のこれを扱う映画は成人を主人公とすることを暗黙のうちに忌避し、子どもの視点を通 じ「イデオロギー」や「反共」といった裏メッセージを織り込ませていた。二〇〇〇年代『シュリ』や『JSA』といった例を出すまでもなく、そんな呪縛はもはやないという。しかし映画史研究家としての洞察力はここからである。『JSA』に登場するソフィー少佐を南北兵士の友情に介在させず、また真相も究明させない描写 は、韓国の根底に横たわる外国人への排他的精神の暗示と痛烈に指摘するのだ。

 世間には「日本(人)」と「韓国(人)」を比較したレクチャー本が氾濫している。そもそもカテゴライズされることをとみに嫌う私ではあるが、この手の書物には二項対立にご執心なあまり欠落している箇所がある。「在日コリアン」の存在もその一つである。蚊帳の外に出された疎外感からうまれた寂寥感がいつしか怒りに変わり、その単純な線引きに読後は辟易となる。唯一の功績は、反面 教師として「マジョリティー神話」に傾倒する危険性を私に啓示してくれる点だけであろう。「アイヌ民族」「沖縄」「ダブル」を二項対立の単純な枠組みに組み込んでしまうのも強引ではないだろうか。

 韓国留学中の在日コリアンの女子学生が、日本のIDでは日本風メイク、韓国のIDでは韓国風とそれぞれを使い分けている。そんな現実哲学から筆者は、二者択一の無意味性を実感し「どちらでもいい」と結論づける。「日本人」である筆者が「在日コリアン」の内なる葛藤を看破し、一つの未来像を提示した。

 読後、不思議と洋々とした気持になりページを閉じた。

(姜華林)


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