MESSENGER 黒田福美さん
―黒田さんが韓国に興味を持たれたのは、韓国のバレーボール選手のファンになったのがきっかけだったと伺っています。韓国にアプローチする窓口が当時それほど多くなかったと思うのですが、スポーツから韓国について入っていったことで良かった点は?
あの当時は在日や韓国の問題というと政治か経済が中心で、ほとんど指紋押捺など差別 の問題でしたよね。そういう暗いテーマでばかり取り沙汰されること自体が在日のイメージを暗く悲しいものにまみれさせていたと思うんです。教育の中では韓国にまつわる事柄について関心は持っていましたが、まさか自分がタッチできる問題だとは思っていませんでしたし。
遠回りをしても、韓国の文化などにはどういうものがあるのかということから始めていくと、韓国人の魅力が伝わって、そこから自動的に何か変わっていくという客観視ができたかも知れません。そこで運動していたら、今の私はないですよね。
―八〇年代の半ば位ですか?
そうですね。八四年くらい。
―窓口がいわゆる日韓問題からではなくてスポーツだったのが良かったというのは、後から考えて思ったことですか?
いいえ、初めからそう思ってました。指紋押捺問題というのは八〇年代の一つの象徴じゃないですか。でももしそれが撤廃されたとしても、実質的に差別 があるなら、何も状況は変わらないわけですよ。それよりは実際の人々のイメージや実際の国を知ること、実際の差別 がなくなっていくことのほうが大事だと思ったんです。あの頃は指紋押捺問題のような象徴的なことで論じていた時代でしたが、それだけじゃない、甘い衣をまぶしたところで日本の人たちにアプローチしていった方が良いんじゃないかと。まさに自分がそういうところからアプローチしろと言われたら、ちょっとやめておこうと思ったかもしれないですし、そういうミーハーな動機から入ったが故に、そういう入り方もあるということを気付かせてくれたと思います。
―ワールドカップでJAWOCの理事を引き受けたのはそういう考えがあって?
これは任命するという形ですから、有難くお受けした次第なんですが、私がスポーツやサッカーについて見識があったということではなくて、二〇年間日韓を繋ぐために心を砕いてきた実績を評価して頂いたんだと思うんですね。九九年の秋にそういう役を頂いた際に、これは頑張って最善を尽くして、なにか一つ良い仕事を残していきたいなと思ったんです。
でもたくさんサッカーを観てくると、どの国を応援するかということより、良いプレーに魅了されますよね。
実はね、日本戦を見ながら私ちっちゃな旗に棒をつけて、太極旗を振ってたんですよ。
―日本戦を見ながら?
ええ。今回、共催とは言え、競い合う「競催」だったなぁという気もするんですよね。九八年のフランス大会の時は「Let's go together to France」という横断幕が出て、私たち日本人はとても感激したし、まことしやかに韓国は予選で日本に勝ちを譲ったとさえ言われたじゃないですか。
共催になったために、この長いストロークの中で韓国は日本を競争相手として見てきたんだと思ったんですね。少し前は日本の「秩序と清潔と親切」を見習わなければいけないということを散々報道していたんですけど、それは本当に競争心の裏返しだったと思うんです。今回の日本とベルギー戦を見ていても、韓国の観衆の中から日本が点を入れるとブーイングが起こるということがあったんですね。
ずっと日本を目標にしながらやってきて、しかもサッカーでは日本の方がこのところずっと良い成績を収めてきたじゃないですか。だからここで日本に負けてはならないというような悲壮感がどこかにあったと思うんです。
全体的には日韓は同伴者であるということは意識していながらも、この場で日本に負けるわけにはいかないというのが噴出した瞬間だったんじゃないか、刷り込まれた「克日」の精神というものがそこで出ちゃったんじゃないかなぁという感じがしました。
開会式も、韓国一色でしたよね。日韓共同開催であるというセレモニーが一つでもあったなら、お互いの健闘を称えあえるようなワールドカップになったのではないかと今悔やまれるんですよね。韓国とアメリカ戦、日本の地上波で放送しなかったでしょ?これも失礼な話。日本も人のこと言えない。
なぜフランスの時一緒に行こうと言い合った、最も今必要なことが実現されていないのかと思った時に、よし私は太極旗を振るぞ、と。本当はそれが韓国に流れて欲しかった。そんな風に韓国を応援する日本人の映像ってそれまではどこにもないじゃないですか。韓国もそう。それぞれ自分の国のことで精一杯。それが残念です。
―日韓共催が二倍嬉しいということを言う在日がたくさん現れました。日の丸まで持ってきて応援する在日をメディアで見かけます。
実は私は中田英寿選手の大ファンで、応援するあまり中田選手のレプリカのTシャツを買ったりしたんですけど、どうしても腕に付いてる日の丸が気になる。どうしてもそれを象徴したままでは出られない。
私もそうです。今回たくさんの試合を日韓両国で見て一番羨ましかったのは、どこの国の人でも自国の国旗を巻いたり振ったりできるということ。日本には「日の丸・君が代問題」というのがあるくらいですから、非常にナーバスにならざるを得ない部分があって、日本人であっても素直にそうできない人は、たくさんいたと思います。そういうことが残念でした。琴さんのお立場だったら、むしろそれはやったら変ですよ。そこまでやることはないし、むしろ私たち日本人が太極旗を持つことがどうして出来なかったんだろうって思うくらいです。
―私の場合、「テーハンミング(大韓民国)」も出来ない。国家の象徴というものにそんなに簡単に乗せられていいのかという気持ちがあって。そういうことを考えられるきっかけになれば良いんでしょうけど。
色んな人たちが色んなことを考えるんだと思うんですね。だから本当に純粋にサッカーを楽しんで、そこをきっかけに韓国を知っていく人も良いし、またそういうことまで突き詰めて考える人がいても良いし、様々なきっかけになったんじゃないかなという気がしますね。
―二〇年間に渡って韓国に関わってきて、ある番組で「隔世の感がある」と仰っていましたが、どの辺が一番実感される部分ですか?
あの頃は、日本人の若い女性が韓国語を喋って一人で韓国に行くなどということは、仰天するようなことでしたから、私の周囲の人たちも拉致されるんじゃないかとか、生きて帰って来いとか、今で言うと北朝鮮に行くような感じで捉えている人が一杯いたと思うんですよね。過去の歴史背景がある日本人が行くと、石を投げられるんじゃないかとか、自分が体験してみるまでは私もとても怖かったですね。
今は両国とも一番人気の旅行先で、若い女性も一人でどんどん行くようになった。 暗く、執念深くて、戦争責任のことばかり言っているという、日本人の韓国人イメージから、ありのままの韓国人をたくさんの方たちが知るようになった。今では日本よりも色んな面 で進んでいる。そういう全てのことが、隔世の感という言葉になったんだと思います。
―見えてくるほどに嫌になる韓国というのは?
全然なかったですね。そもそも、必要以上に貶められている国をなんとか底上げしたいという気持ちで入っていったわけですけど、実際韓国のどういうところが良いのかは分かってないわけですよ。とにかく行って良いものを探してこようという風に始まったんですけど、行ってみたらまず人心は良いし、毎日見ず知らずの人たちから親切の嵐。出会った学生はご飯をごちそうしてくれる、観光地で会ったおじさんは案内してくれる、食堂のおばさんは横に座って離れない、みたいな。まず物珍しいわけです。日本の女の人が。言葉を少し喋るから余計に。
勿論問題点というのはありますよ。でも外国人なんだから違って当然じゃないですか。そういうスタンスをそれまでの日本人が持てなかったというのが問題ですよね。
ただ一度こういうことがありました。初めて行った時に劇団を訪ねたら、ある演出家が「チョッパリが来やがって」って。その時、覚えたての韓国語を駆使して、「マンナジャマジャ、ムォエヨ?(会うなり、なんなんですか)」って言ったんです(笑)。そしたらそこから「お?韓国語ができるのか」ってことになって、凄く私に関心を持ってくれて。韓国の文化をみたいから、この期間中に色んなところを見歩いているんですと言ったら、色んなチケットを持ってきて、これも見に行け、あれも見に行けと。
準備と覚悟をきちっとしていきましたから、応戦もしましたよ(笑)。
―素晴らしい(笑)。
韓国のメディアについては?
この間対談番組に出て、非常に失望したんです。日本だったら「黒田さんの話をよく聞いて、どういう人なのか、それを表現しよう」という風にしますよね。ところが、作家がまずある程度の資料を見て、視聴者にわかりやすく、面 白おかしく番組を作ろうとしてしまうのです。カン・マンス選手を好きになって、韓国を好きになった女優という、非常に単純な図式に当てはめようとしちゃう。やりたくないことや真実でないことをやらされることもあって、ちょっと韓国のメディアはつらいなぁと思うことはありますね。
「韓国に惚れた女優」という風に私を貶めるか、もしくは全く逆に、自虐的なくらい「日本人の目から見て韓国の悪いところはなんですか」と根掘り葉掘り聞きたがる。ないと言っても、許してくれない。韓国人は非常に具体的なことを好むので、なんとか一八ヶ条とかいう本がありましたが、あれ式にあげつらってくれと。両極端で非常にステレオタイプですね。
―九七年のSBSテレビの八・一五特集、私の父に黒田さんが取材された番組ですが、テーマは関東大震災時の朝鮮人虐殺でしたね。黒田さんが歴史について御自分の気持ちを吐露する場面 も収められていました。政治問題や歴史について言及されている姿を殆ど目にしたことがなかったので、こういう仕事もおやりになるのかと非常に驚きましたが。
あれは、SBS放送のドキュメント監督としては二代巨匠と呼ばれる方の一人だったんですよね。本当に真摯な姿勢でありのままの姿をドキュメントとして創っていて、それは先ほど申し上げた今の韓国メディアの問題点とは全く比べ物にならないレベルですね。ああいう方もいらっしゃるんです。
―黒田さんは「ソウルの達人」という本で街を詳しく解説なさっています。食べ物、ショッピングの情報をたくさんお持ちで、韓国が好きというイメージを日本のメディアは流していますよね。「消費天国、韓国」みたいなところに黒田さんが寄り添うというイメージが作られていると思うんです。
ソフトな面でのみ露出する黒田さんという風に日本のメディアがつくりたいのか、それともそうではないのか?
それは、私の意図なんです。私は殊更そういうことには触れなかった。結局、そういうことをやると腰が引けて逃げていく人がいるわけじゃないですか。当初、八八年オリンピックの前に韓国の人の暖かさを伝えて底上げしていこうと思った場合、それを言っちゃ駄 目だというのが凄くあったんです。
本当に楽しい人がいて、こんなに温かくて、面白い文化があるというのをアッピールして、日本の人に近づいて欲しい、お願いだから政治や歴史の問題から入らないで欲しいという、その思いの結晶が「ソウルの達人」だったんです。
オリンピック前はその辺のガイドブックを持って行ってもそれなりにエキゾチズムを感じられる国でしたが、オリンピックが過ぎて物凄く近代化されてしまったがために、ただそれだけ見て行ったのでは、東京とさほど差を感じられない国になってしまったんですよね。バブルとも重なったので、焼肉と冷麺くらいで、東京とそっくりかつレベルダウンした国にどうして行く必要があるのという空気が蔓延してきた時に、これはいけないと思ったんです。韓国に客を呼び込まなきゃいけないと。本当に韓国観光公社よりも先にそういうことを必死に思っていたんですよね。
結局韓国人の感触というのは触ってみないと分からない。そのためには旅行を通 じて行ってもらうしかないと思った時、従来のガイドブックじゃ駄目だと思ったんです。第一、編集者たちが韓国を知らないのに、イメージできるわけがないじゃないですか。だからもっと誘えるように、今までのガイドブックにないソウルを紹介しようと本をつくったんです。
―韓国のイメージがガラっと変わったのは八八年時点だったと思うんですね。自己紹介後の反応などで、皮膚感覚で分かるようになりました。 基本的に往来のない国、今の北朝鮮などがそうですけど、そこに具体的に人が住んでいるということがイメージできなければ、あんな気持ち悪い国は潰れてしまえ、と言わんばかりの操作がし易いと思うんです。人が行き来すれば友達になったりして、例えそれが旅行という消費であっても意味をもたらすと思っているのですが、一方で、韓国のイメージが良くなったからって、在日コリアンへの差別 がなくなったのかと言う在日もいます。黒田さんはどういう風にお考えになりますか?
去年の夏の靖国神社の問題とか、教科書問題の時に、韓国では日本に対する非難が轟々だという報道が山ほどされましたよね。その時私は韓国で色んな人の反応をつぶさに見て思ったんですが、やはり皆さん日本人に対してあんなことがあると嫌な気持ちでしょうと聞くと、いや、私の知っている日本人は皆良い人たちだよという答えが返ってくるんです。ああ、そうかと。この人たちは観光案内や友達付き合いを通 して、ここにいながらにして実際の日本人に触っているんだな、と。その時、私のやってきたことはあながち韓国の人たちにとっても悪いことじゃなかった、日本人のイメージも変えていったのではないかなと思いました。 確かに消費ということではありますが、自分もスポーツという切り口から韓国に入ったわけです。韓国に関わっていく入り口って一杯あっていいと思うんですよね。ショッピング、グルメ、エステ、なんでもいいからまずは近づいていって、行ってみれば友達ができるし、友達ができれば絶対歴史や差別 のことを振り返ると思うんです。
「知っている国」から「友人の住む国」になったとき、彼らが一人一人の日本人になにを問い掛けるのか、それをどう受け止めていくのか、勿論全員がそう考えなければいけないわけじゃないけど、中にはそういう人たちも生まれてくるだろうと期待したんです。ガイドブックが私にとって好都合だったのは、たくさんの切り口、たくさんのドアをあけても良いんだということを提案することで、どんな人でもとにかくここから入って、友達をつくれるということ。
この本の中の『友達になろう』というコーナー、大好きなんですよね。この中から何人かでも良いから、そういう人たちが育ってくれれば、いつか世の中は変わると思う。
―「ソウルの達人最新版」ですが、読み終えて、韓国に必ず行きたくなる本だと感じました。後ろの方には『歴史家の良心にかけて』という対談なども載っていたりして、あ、その辺のショッピングのガイドブックとは一線を画してるなというのが読者にも十分伝わると思います。
教科書問題が話題になった頃、雑誌『世界』に黒田さんの「愛する成姫へ」というタイトルの文が掲載されましたが、そこには『子ども達を一旦は過去の歴史の問題から遠ざけて欲しい』と書かれていますよね?
『つくる会』などに代表される人たちが子どもに慰安婦問題などを教えるなと言うのと同じ文脈として読んだ人もいると思いますが、これに関する真意は?
これは、書いてあるとおりです。初めて独立記念館に行ったとき、八八年でしたけど、とてもショックを受けたんですね。展示物じゃないんです。行きの道中からバスがぎゅう詰なんです。行楽に行ってるんですよね。
ある時、八六、七年頃だったかな、黒田さんはなんで韓国、朝鮮のことをやるんだ、もっとカッコいい国のことをやって欲しいという内容のファンレターが来て、どこの人かと思ったら、大阪生野区の人だったんです。これは何かあると思って、普段はなかなかお返事を出せないんですけど、どうしてそういうことをお考えになったのか教えてくださいと手紙を書いたら、朝鮮とは差別 するものだ、だからそういう国を取り上げて欲しくないと。
結局、私達これからの人は、何の根拠なく偏見を持つような人たちを育てたくないわけじゃないですか。なにも隣の国のことを知らない、白紙のところから始まって、正しく認識していくことがどれだけ大事かを自分自身が身を持って感じてきたんですよね。
すっかり差別意識で凝り固まっている人たちを変えようとは思わない。この二〇年間で随分日韓間が良くなったのは、多くの人の努力もあるけど、そういう世代が入れ替わりつつあるからというのも事実だと思うんです。
「誤解」は原因があるから解けるでしょう?でも、なんとなく嫌いという「偏見」は原因がないから、なんとなくは治らないんです。だからそういう気持ちを持った人間を一人でも製造しないことだと思うんです。私たちは日本人として「朝鮮とはとにかく差別 するものだよ」などというそんなバカな教育をしてはいけないし、韓国も同じように「日本はこういうことをやったんだよ」ということをむやみやたらと言って欲しくない。これは歴史に目をつぶれと言っているんじゃないんです。少なくともきちんと認識できる年齢になってからやって欲しいと思ったんです。
−後略−
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