Kカルチャー
<書評> 「カシコギ」 著者:趙昌仁 訳者:金淳鎬
カシコギの"カシ"とは、朝鮮半島では"トゲ"を意味する。
父と子の愛の物語。しかし、私はこの本を読んでいる間、まるでトゲに触れているようだった。一貫して漂う、張りつめた空気。少しの刺激でトゲは突き刺さり、痛みが走る。さらに深く食い込むと、血がにじむ。
主人公の少年、小学三年生のタウムは、急性リンパ球性白血病を患い、入退院を繰り返している。治療は抗癌剤、放射線。正視に耐え難いほどの副作用に苦しむタウムを後目に、病状は好転の兆しを一向に見せない。彼の唯一の支えは、父チョンである。チョンは、子供の時分、父親と別れ―捨てられ―孤独に生きた。結婚したチョンは、嘱望されていた詩人としての前途を妻子のために断つが、結局その結婚は破綻。さらには「IMFショック」で失業してしまう。タウムを看病する時間が惜しいと、再就職を望まないチョンは、高額な入院費に苦悶する日々を送る。それでもチョンにとっては、タウムとの時間に替わるものなどなかった。
タウムの闘病とそれを支えるチョンの描写。その姿は、読む者に、血のにじんだ無数の傷跡を残す。
「カシコギは、僕のパパ。」常に惜しみない愛を注ぎ、入院費の工面に奔走する父を、タウムは悲しみをもって、小さな淡水魚、カシコギになぞらえる。―カシコギ<トゲウオ>のオスは、メスが産み捨てた卵を、寝食を忘れ献身的に世話する。そして子が成長し去っていくと、岩間に頭を突っ込んで死んでいく。―それは、痛ましくも本書の結末を暗示していた。骨髄移植を受け、病に克ったタウムを待っていたもの、それは永遠の離別だった。
父親を六歳で亡くしている作者は、自らが父親になって、「無謀にも」父性に関する小説を書いた、と話している。二〇〇〇年に韓国で出版された本書は、翌年にかけて一六〇万部を売上げるベストセラーとなり、今なお人気は衰えていない。テレビドラマ化、舞台のロングラン、漫画本の出版等々、「カシコギ・シンドローム」を巻き起こした。IMFショック(経済危機)によってリストラを余儀なくされ、父権が地に落ちたご時世だからこそ『カシコギ』は広く受け入れられたという、評論家たちによる言説を、まことしやかに伴いながら。
これが「父親」と子の物語であったことに、必要以上の意味を付すべきではない。子への『無償の愛』が、これまで「母性」という名で語られて来たことを鑑みれば、この物語は風を送りこんだといえよう。しかし、これは『「父性」の新しい形』などではない。親が抱く、我が子への『無償の愛』。親になれば誰もが獲得すると信じられてきたそれ自体も、関係の中から作られていくものだと、本書は語りかける。
タウムとチョンの物語。それは、出口がないかのような闘病生活の中で積み上げられてきた、親子の感情の交流、それによって育まれた信頼、愛情を、痛みをもって描き出している。
(安彩子)
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