Kカルチャー 書評
「私の話」 著者:鷺沢 萌 河出書房
「私の話」―それは一九九二年から二〇〇二年までの間、彼女の起こった劇的な出来事をピックアップし、彼女自身を主人公として描いたエッセイである。一九九二年は大学を中退し、小説家としての道を歩み始めた頃だ。だが一方で韓国留学を決意した頃でもある。
彼女は一八歳の時、韓国人の祖母を持つ在日コリアンだということを知った。自身の「在日」の部分を知りたい。それ故の決意である。この留学によってハングルを学んだ。そしてさまざまな経歴を持つ在日コリアンと出会い、彼らと語り尽くしてきた。それは彼女にとって確実に劇的なものであったに違いないはずだが、この小説にはその留学経験が全くといっていいほど書かれていない。それは生活と呼べる生半可なものではなく、よほど「特異」な経験であったのだろう。
留学以降、彼女の生活の中には明確に「在日」の部分が組み込まれている。「特異」なものから、自身の「ライフスタイル」へ・・・・・・。留学を通して彼女が身に付けた、そして確立された在日コリアンとしてのアイデンティティ。いや、確立されたはずであったのだが、彼女の思考は帰国してからもなお洗練されていく。
彼女のライフスタイルの変化は、一つの罪を背負わせた。彼女の実祖母は自分が朝鮮人であることを隠し通してきた。しかし作家である孫はこの秘密を、著書を通していとも簡単に暴露してしまう。亡くなってしまった彼女の実祖母、その人は彼女のルーツである。そのルーツと自己のアイデンティティの均衡がとれない。この均衡化は私達世代の大きな命題の一つであるが、その渦中に彼女もいた。どうしても祖母が頭から離れない。
そして二〇〇〇年秋、友人の紹介で神奈川県川崎市にある「ふれあい館」(地域の在日コリアンのための老人会、障害児を受け入れる学童保育、民族舞踊や楽器の教室を開いている)で週二日行われている日本語ができないハルモニのための「識字学級」に通うことになる。識字学級で教えることによってこの罪を何とか償うことができれば・・・・・・、彼女はそう考えた。しかし罪を償うような姿はこの場所において伺えない。彼女から見られる行動といえば、ハルモニ達の姿を真摯に見つめる、ただそれだけである。ハルモニたちに教えてあげる事よりも、ハルモニ達から何かを取り入れようとする彼女の行為が、文中では殊更に際立っている。戦後、日本語の読み書きも出来ず、厳しい差別と偏見の中で必死に生き抜いている姿を、頭を振り絞って想像する。紛れもなく、彼女は自分のルーツを取り入れる為、週二回この場所に足を運ぶ。
二〇〇二年、仕事も忙しくなり識字学級にも通えなくなってしまった頃、実祖母の墓参りに出かける。そして墓前で「おばあちゃん、すみませんでした。許してください。私は本当におばあちゃんを愛していました。もう一度会って、ウリマルで話がしたい」と「ハルモニ」とすら呼んだ事のない実祖母に対してハングルで呟く。ハングルは彼女にとって留学で身に付けた在日コリアンとしてのアイデンティティである。それをルーツである実祖母に返してあげる事によって、ルーツとアイデンティティを均衡化している。これでようやく彼女のライフスタイルに一区切りつけることができる。「私の話」―それは十年間で歩んだ、彼女のそんな一区切りを描いているのだろう。
(白満洙)
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