Kカルチャー 音楽評
『mana-zashi』 細坪基佳
「初めて聞くものばかりなのになぜか懐かしかった。…それはいったいどこからくるものだろう。」
七〇年代の人気フォークデュオグループ「ふきのとう」のメンバーだった細坪基佳氏は、韓国で今も親しまれている八〇年代の歌謡(フォークソング)を日本語で歌った自身のアルバムに、こう言葉をよせた。アメリカのホームドラマや音楽が日本のそこここに転がっていて、それ以外の選択肢が今よりもはるかに少なかった時代に青春時代を過ごした細坪氏にとって、近年関心を持つようになった韓国のフォークソングを形容する言葉は、「懐かしい」だった。
『mana-zashi』は、韓国のフォークソングを日本語訳して歌いリリースされた初めてのアルバムだという。新しい扉を開くかのように、耳を傾けてみた。偶然にも「ふきのとう」がデビューした年に生まれ、九〇年代になってテレビの深夜番組を通じてようやく韓国の音楽を聴くことが出来るようになった私には、『mana-zashi』から聴こえてくるほとんどすべてが初めて触れるものだった。細坪氏の声も、楽曲も、歌い方も、日本語訳をのせて歌われる韓国のフォークソングも。細坪氏の非常にやわらかい声で綴られていく、郷愁ただようメロディー。私にとって、韓国を想起するものはなにもない。そこにあるのは、穏やかな一曲一曲の歌。懐かしさも、反対に違和感も感じる余地はなく、聴き心地の良い歌が流れていた。
このアルバムを「懐かしい」で消化することができず、かといって細坪氏との世代差やバックグラウンドの違いだとあきらめるのは口惜しい。そこから生まれる何かを見つけてみようと、韓国の音楽サイトで原曲を聴いてみた。アルバムタイトル曲のオリジナル、「ヘバラギ」の「ただ見つめられるだけで」、チョ・ソンモやイ・スンファン、イ・ウンミらがリメイクし時代を超えてヒットし続ける「時の流れの中で」など。聴いていく中で感じたのは、同じメロディーを辿るということだけでは、その曲が持つものは伝わらないということだった。その歌を形作る大きな要素となる、歌われている言語が持つ独特の響きを再現することが出来ないのは当然のことなのだが、それより重要なのは、その歌が愛されたのがその国ではどういう時代だったのかを知ろうとするかということ。原曲と聴き比べて、歌詞の違いは象徴的だと思った。日本語詞はノスタルジーに染められ、原曲が醸し出す雰囲気とは異なっている。原曲では、語数が非常に少なく、より余韻が残る。
冒頭の問いに対して、「亜細亜人としての自分自身を、僕はその時初めて実感した気がする。」と細坪氏は答えているが、アルバムを聴いた後、私は首肯することをためらう。その訳を、元「ヘバラギ」のユ・イクチョン氏の言葉に託したい。「歌は、愛をわかち、世の中の出来事をわかち、私たちの心の中に生まれたすべてを共にすることができるという、ささやかな信頼」をもたらすもの。自分からその歌に歩み寄ってこそ、そうであることができるのだ。
(安彩子/東京)
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