Kカルチャー 映画評
クイール"Quill" 崔洋一監督作品
別れは、つらい。しかし盲導犬になることは、いくつもの別れを宿命づけられたことでもある。ブリーディングウォーカー〈生ませの親〉との別れ、パピーウォーカー〈育ての親〉との別れ、盲導犬訓練士〈しつけの親〉との別れ。そして、パートナー〈使用者〉との別れである。
原作は、『盲導犬クイールの一生』。実在したラブラドール・レトリーバーの生涯を、モノクロームの写真と文章でつづったベストセラーである。二〇〇三年にはNHKでテレビドラマ化され、高視聴率を記録したという。
映画を観て知ったのだが、盲導犬は血統らしい。その点母親が家庭犬であるジョナサン(後のクイール)は、盲導犬に向かない。しかしどうしても盲導犬にしたいと願う生ませの親の熱意により、関西盲導犬協会の訓練士である多和田は渋々訓練することを承知する。
盲導犬候補の子犬は、一歳になるまでパピーウォーカーと呼ばれるボランティアに育てられる。盲導犬は登録された期ごとにアルファベットの頭文字が順番にふられ、脇腹に鳥の羽根のような模様を持つジョナサンはクイール"Quill"と名付けられる。
一歳になったクイールの盲導犬訓練センターでの生活が始まった。おっとりマイペースな性格からか、なかなか盲導犬の仕事を覚えられない。そんなある日、訓練士の多和田はクイールにウェイトと命じたままそのことを忘れてしまう。何時間も動かずその場で待ち続けたクイールを見て、そうか、お前はそういうやつかと褒める。ただひたすら待てることも、盲導犬の重要な資質の一つなのだ。
クイールのパートナーとなったのは、犬・畜生に引っ張られるくらいなら寝ていた方がましだと強がっていた渡辺。思わず白杖に頼ってしまい、クイールの合図を感じ取れない。それでも忍耐強く合図を送り続けるクイールとの間に、いつしか信頼関係が生まれる。しかし、やっと訪れたクイールと渡辺の生活に、突然終わりが来る。渡辺が長い間入院生活を強いられることになったのだ。死を前にした渡辺とのラストウォーク、久しぶりにパートナーに会えたことを無邪気に喜ぶクイールの姿が悲しい。
クイールの生涯、そのありのままを素直に描く。もっと映画的な演出も出来たはずだが、強引な"泣かせ"の場面は作らない。
監督は崔洋一。在日コリアンのタクシー運転手を主人公にした映画『月はどっちに出ている』(九三年)などクセのある作品を撮ってきた。それが今回、少年・少女から大人まで楽しめる娯楽作品を撮ったのには訳がある。崔洋一の"ディズニー映画"をみてみたい?。プロデューサーのこの口説き文句に食指を動かされた、と本人は告白している。
実は、私はイヌよりネコ派である。冒頭の、子犬がトイレットペーパーにじゃれてグルグル巻きになっているシーンなど、イヌ好きはやられてしまうこと請け合いだ。そんな場面も割と冷静に観ていた私だが、映画が終わる頃にはイヌもいいねと思わされる。その秘訣は、監督の言葉から窺える。僕たちは犬のいい表情を撮るために、ひたすらカメラをまわした。粘ることで数々のミラクルショットをおさめることができた。いつしか、待つことの豊かさを感じるようになった、と。
この映画は盲導犬と人の共生を描いている。しかし、いつの間にかそれは自分の愛する動物に置き換わっているだろう。見終えたとき、無性に我が家のネコがいとしく思えた。
Kum JiHa/Private Dancer/TOKYO
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