Kカルチャー 映画評
『パッキギ!』 井筒和幸監督作品
イムジン河水清く〜、とうとうと流る〜。
この映画を観て以来、イムジン河≠フメロディーが頭から離れない。お風呂に入ってようが電車の中だろうが仕事中だろうが、ところかまわずこの切なくも美しい旋律が繰り返される。その度にこの映画で描かれていた世界へと引き戻されてしまうのだ。
時は一九六八年、舞台は京都。主人公の松山(塩谷瞬)は、毛沢東にかぶれた高校教師の命令で京都朝鮮高校にサッカーの親善試合を申し込みに行く。突然の訪問者に朝鮮高校は色めき立つ。眼光炯々としたスケ番にはり倒されそうになりながらも、どこからか流れてくる聞き覚えのない臨津江(イムジンガン)≠フメロディーに吸い寄せられるように吹奏楽部の練習している教室を覗いた松山は、一人の少女キョンジャ(沢尻エリカ)に目を奪われる。しかしそれは、京都朝高の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹だった……。
っとまあ、ここまでは在日版『ロミオとジュリエット』。しかしこの映画、ただの恋物語に終わらない。キョンジャに恋した松山は、これまで荒くれ者でただ怖ろしいだけの存在であった在日のこと、朝鮮(語)のこと、イムジンガン≠フ曲のことを必死で学び始める。
臨津江は朝鮮半島の三八度線上を北から南に流れる川の名前であり、その地理的特徴から南北分断の悲劇を唄った曲(作詞:朴世永、作曲:高宗漢)にもなっている。この曲にザ・フォーク・クルセダーズが日本語の歌詞をつけて“イムジン河”として発売を予定したが、政治的配慮から発売中止となった。そんなエピソードが紹介される。
この映画で井筒和幸監督は、南北分断の悲劇を日本に置き換えて語る。鴨川を臨津江に見立てて国境線とし、こっちから向こう、すなわちキョンジャの住む朝鮮人部落のある方には今日から行けないとしたら……。強制連行や創氏改名を松山らに教える酒屋の店主に扮するオダギリジョー。なぜ日本でなく朝鮮半島が南北に分断されなければならなかったのか。こんなことを話し合う酒屋に集まる飲んべえ達。日本の負の歴史を日本人に語らせるところに、この映画の懐の深さがある。
映画のクライマックス、一人の在日青年が悽愴な死を遂げる。通夜の席で松山は、在日の列席者から帰れと詰られる。お前は何も知らんやろと。松山は、返す言葉がない。鴨川に架かる橋の上で、イムジン河≠聞いて以来始めたギターを叩き壊し、涕洟する。自分には歌えないと断るつもりで向かったラジオ局で、それでも松山は歌う。この姿が、無様でカッコイイ。
ラストシーン、車でデートする松山とキョンジャ。走り出したと思ったらエンスト、二人で一緒に車を押す。こんなところからも、二人の未来は決して順風満帆とはいかない、が、どうにかなること示唆される。
劇中のハチャメチャなケンカの数々。中でもスケ番の繰り出すドロップキックは快技だ。日本の高校生と朝鮮高校生。どちらにも勝者はいない。しかし分かりあえないと諦念せず、全力でぶつかり合えばいい。その方法がたとえパッチギ(頭突き)し合うことだとしても。この映画を見終えて感じる清々しさは、こんなメッセージから来るのだろう。
Kum Ji Ha / TOKYO
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