特集1 MESSENGER クォンヘヒョさん
学生時代
―今日本でもとても有名で、雑誌やインターネットでよくクォン・ヘヒョさんのことを目にしますが、ぜひ今日は生い立ちといいますか、とくに俳優になられる前の時期にどのようにお過ごしになったのかをお聞きしたいです。
大学生の頃の話をした方がいいでしょうか。「大学の頃何をしていたのか?」という質問を多くの方にされますが、そこには「学生運動を一生懸命していたの?」という意図が含まれている場合が多いと思います。私は学生運動をした経験はありません。私が漢陽大学の演劇映画学科に通っていた当時八〇年代中盤の大学は、ご存知の通り韓国内では八〇年光州抗争以降の反米・自主・民主闘争が最も熾烈だった時でした。八〇年代後半になると、全大協(全国大学生代表者協議会)が発足し、私が通っていた漢陽大学が一種の学生運動の本山、中心部でした。ですので学校という空間に常にデモがあり、戦闘警察が動き回って学校の中まで追いかけて来るような空間だったのですが、そのような時期に私は一度も学生運動に参加したことはありませんでした。八〇年代という民主化運動の時代に運動をしたことがない人が多いのは事実です。とくに勇気が無かったという面もありましたが(笑)、学生時代は演劇、映画の勉強がとても面白く、学業に一生懸命になっていたので時間的な余裕もありませんでした。でも、いつも横の同僚や同じ科の先輩・後輩達が警察に連れて行かれるのを見て、心の負債のようなものを持っていました。学生時代をそんなふうに過ごしたように思います。大学生の頃は簡単に言うと、心は共にあったけれども、絶対に動かなかった時代。でも後悔はしていません。その時は幸せなことに、私が専攻する演劇、映画を非常にたくさん勉強することができました。だから大学時代をどのように過ごしたかについて学生運動の次元で話すことはありませんが、大学生として私が行うべき勉強に専念したという記憶に自負心があります。大学を卒業した後も最低限演劇や映画について自信を持てたのは大学時代に熱心に取り組んだからだと思います。
大学の時は自分たちで好きに大学路に出て演劇をしていましたが、その時に韓国で有名なイ・ジャンホ監督の映画にキャスティングされて、大学時代中にデビューしました。大学三年の時でしたが、初めて撮影した場所が日本でした。札幌や夕張で。解放前の韓国人の話でした。その時に私が引き受けた役は日本人なんですが、抗議闘争を助ける接近派、スパイのような役でした。そんな感じでいつの間にか映画にデビューしていました。大学路で演劇をしていて、その界隈の人々が見に来て、キャスティングされて、ドラマの撮影をして、特別なこともなく無難に少しずつ少しずつ前に進むといった感じでした。そうであったのが、社会のことに本格的に関心を持つようになったきっかけは、私の中高時代の友人でした。その友人はソウル大学に入って八五年の米文化院占拠に加わったメンバーでした。その友人は文化院の前で「米国は謝罪しろ!」と叫んだりしていましたが、彼がなぜそのようなことをしたのかという思いがありました。それから一〇年後、彼は大学を卒業して学校の先生になりました。彼は、いつも勉強で疲れている子どもたちのための青少年キャンプを夏休みに行っているのですが、そこにはタルチュムグループや演劇グループもあるので、私にちょっとそこに来て手伝ってくれないかと頼んできました。OKしたのですが、それが九五年か九六年です。それから一〇年間毎年夏にキャンプをしています。
こんな出会いもありました。ソウルの九老洞や安山に労働者たちが自分で運営している演劇教室があり、そこに行って講義をしたりもしました。私ができることを通じて人と出会う、そうした過程が社会一般に対して、社会の現実について近づき見る機会になりました。
―以前このMESSENGERで映画「ナヌムの家」のピョン・ヨンジュ監督にお話をうかがった(註・第五号)のですが、「八〇年代学生運動に私は参加しなかった。でも当時の韓国は、決して悩まずに生きることのできない時代だった」とおっしゃっていたことを思い出しました。
九六年だったか記憶が定かではないですが、そのピョン・ヨンジュ監督から連絡が来て、民家協(民主化実践家族運動協議会)の行事に誘われました。民家協は良心囚の親たちの集まりですが、「良心囚の釈放のための詩と歌の夕べ」といった行事をしていました。「一日監獄」を作り、そこに有名人と一緒に朝から夕方まで一〇時間程そこにいることで、依然として韓国社会ではこのような良心囚が刑務所にいる、そうした野蛮な国家保安法はなくならなければならないと訴える行事が毎年行われています。三日間ほど行事が行われたのですが、最初の日にピョン・ヨンジュ監督が一日体験をして来たんです。
体験した後私に連絡してきて、「ヘヒョ氏もちょっと行って、やってきなさいよ」と言うので、行くことになりました。その当時はピョン・ヨンジュ監督が「ナヌムの家U」を撮っている時でした。一日監獄体験をしたのですが、それは私にとっていわゆる韓国社会の運動圏との初めての直接的な出会いでした。
(以下、省略)
【権海孝(クォン・ヘヒョ)さんのプロフィール】
1965年11月6日、ソウルに生まれる。漢陽大学演劇映画学科卒業。
1990年、舞台 「泗川の優しい女」でデビュー。当初は舞台俳優であったが、演劇公演中にMBCのプロデューサーからスカウトされ、ドラマ「愛を君の胸の中に」でデビューを果たす。個性的な外見とコミカルな味わいで、次第に俳優として頭角を現し、映画「ラスト・プレゼント」でマヌケな詐欺師を演じて、大ブレイク。
その後「冬のソナタ」のキム次長役で、その人気が韓国から日本にも飛び火した。
俳優としての仕事の傍ら、イラク派兵反対をはじめとした各種反戦平和運動、南北朝鮮の和解と交流運動、戸主制廃止運動などの市民運動にも積極的にかかわる。現在、「北側オリニ(子ども)栄養パン工場事業本部」の広報大使も務める。
日本での著書に、「冬のソナタ『キム次長』クォン・ヘヒョと学ぶハングルスタートブック」(ダイヤモンド社 2005年)。 |