特集2 金敬得氏 講演録 −在日としての『韓国』/韓国から見た『在日』−
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外国籍で司法修習生になることを求めて1977年最高裁で訴訟を起こし、外国籍での弁護士第一号となった金敬得弁護士が、05年12月28日お亡くなりになりました。ご存知の通り、金敬得先生は在日コリアンの人権や戦後補償問題をはじめとした社会イシューに関して、弁護士としての活動はもちろん、様々な場での発言や執筆などオピニオンリーダーとしてもご活躍され、人脈も大変広く、KEYも講演をして頂いたりなど大変お世話になりました。
2005年2月12日にも、東京で行なったKEYとKYC(韓国青年連合会)の共同行事の中で、「在日としての『韓国』/韓国から見た『在日』」というテーマで講演をして頂きました。日本人や日本社会に対してではなく、在日コリアンと韓国の青年に対してという趣旨でして下さったお話は、私たちにとって大変貴重で興味深いものでした。そこで今回、ご家族の方の許可を頂いて、その時にお話になったことの概要をお伝えすることにしました。
金敬得先生のご冥福をお祈り致します。カムサハムニダ。
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■韓国の人にとっての在日同胞
日本で初めて司法修習生になったことで有名と紹介されたが、私は遅刻するということで有名(笑)。今日は遅刻して申し訳ない。最初にいつも謝っている。
日本では在日韓国人の呼び方がいろいろある。在日韓国人と言ったり、在日朝鮮人と言ったり、在日韓国・朝鮮人と言ったり、在日コリアンと言ったり。韓国では在日コリアンという言葉は使わず、在日韓国人と言う。それと、九〇年代までは朝鮮人という言葉をほとんど使えなかった。私が八〇年代韓国に行ってシンポジウムに出た時に朝鮮人と言うと、それは問題だから直せとよく言われた。ただ私は朝鮮人という言葉にこだわってきた。朝鮮人という言葉は本来差別用語ではないのに、日本社会あるいは韓国社会にはそれが差別用語だという認識を持っている人が多い。だから朝鮮人という言葉を素直に使えるような日本の社会になるべきだという考えがあって、むしろ私は日本人に対して朝鮮人という言葉を使ってきた。しかしそれを韓国社会に言ってもなかなか理解されない。トジョン(挑戦)という言葉は日本語では同じく「チョウセン」と発音する。それで私は韓国で使う時に、日本の差別に挑戦する人間だから「チョウセンジン」(挑戦人)と言うんだと言ったこともある。
在日問題に韓国社会はあまり関心がない。まあ当たり前のことだろう。日本から外国に移民に行った日系人のことを考える日本人が日本社会にどれほどいるのかというと、ほとんどいない。それと同じ。各々その社会で生きていくのに忙しいから、そういう関心がないのは当たり前なのかもしれない。しかし在日の目から見ると違う。在日というのは、日本社会で差別されて、だけど自分のアイデンティティを守るために韓国・朝鮮の国籍を持ち続けて、韓国のことを非常に考える。その意識ギャップが大きい。本国の人は在日に関心はないが、在日は本国に対して非常に関心が強い。関心が強いというよりも、韓国的な自分のアイデンティティに対する思い入れが強いというのかな。それは国籍とか民族と直結している。
韓国の人は、在日同胞が韓国国籍を持っているという認識がまずない。大体日本人だと思っている。韓国人から見て、言葉ができない在日同胞は韓国人に見えないんだね。ところが在日同胞には在日同胞の言い分がある。日本で差別されながら韓国人として生きているのだから、言葉ができなくてもこの気持ちがあれば韓国人じゃないかという。まあ在日同胞側の甘えかもしれないが、それくらいのギャップがある。ではそのギャップを埋めるには一体どうすればいいのか。これは、やはり在日朝鮮人とは何であるのかを理解するしかない。
■歴史見直しと、在日朝鮮人
在日朝鮮人問題の理解の仕方の一つは、歴史的アプローチ。在日朝鮮人というのは、まぎれもなく日本の植民地統治時代にやむなく日本に来た人々。やむなくというのは、その後強制的に連行されたということだけではなくて、植民地統治下非常に疲弊した韓国で農地を失った農民など、生活するために日本に来なければならなかったということも含む。この日韓の歴史、日帝植民地の歴史をどう見るかということである。
今韓国で歴史の見直しの動きが、法律まで作って大々的に行なわれている。与党・野党の政争の具にされているという側面もあるが、十分に真相究明できなかった日帝下の反民族行為というものをもう一度きちっと見直さなければいけないということで行なわれている。それは言ってみれば、韓国の解放六〇年の歴史の中で、真相究明が現在まで十分にやられてこなかったという認識があるということ。それと期を一にするように、在日朝鮮人問題が韓国社会で正当に理解されてはいない。というよりは無関心に置かれている。いつも日韓の中で植民地統治の問題が取り上げられるが、植民地統治の結果日本社会に住むことになった在日六〇万人の生きた歴史の証人の問題に対する関心があまりに低すぎる。韓国社会は韓国社会で、南北分断もあって、食って生きていくことにとても忙しい。それはわかる。けれども、あれだけ日本に対するナショナリズムがあって、これだけ反民族行為に対する関心が起こっているのに、それと比べて在日が生きている実態に対する理解がなさすぎる。
在日問題を、差別を受けている可哀相な在日をどうすればいいかという観点からではなく、在日問題をどう解決するのが韓民族にとって、あるいは韓国という国家にとって植民地支配の克服につながるかという視点が欠落している。在日問題は在日の人権問題であり在日朝鮮人がすべきことであると同時に、これは日本社会の問題である、とまでは大体韓国の人は言う。しかし、それが韓国における植民地支配の克服問題、自分らの歴史をどのように整理すべきで、またその整理の時点で在日問題はどう解決されるべきかという視点が全く欠落している。韓国の学者で研究している人がいないわけではないが、大体が日本でされていることの翻訳にとどまっている。韓国の人がすべきなのは、それが韓国社会にとってどうなのか、韓国人としてこの問題をどう扱わなければならないのかということ。まだそこまで問題は発展していないというのが、在日の問題の韓国における現状だと思う。
(以下、続く)
■なぜ国籍を保持するのか
■在日コリアンの国籍意識
■国民国家の未来
■韓国在住外国人の人権保障
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