特集1 MESSENGER 崔善愛(チェ・ソンエ)さん(ピアニスト)
■今振り返って
―昨年入管法が変わり、外国人が入国する時に指紋を採取されることになりました。私たち在日コリアンは一九八〇年代の外国人登録の指紋押捺拒否運動をやはり思い起こします。KEYは青年組織ですが、最年長組になる私が一六歳の時に一九九〇年で、指紋押捺をした最後のほうの世代になります。だからKEYに来ている大部分の人は指紋押捺の経験がないんです。
素晴らしいことですね。
―つまり、歴史として指紋押捺拒否運動があったんだと考える世代になってきています。昨年の指紋採取制度の導入に際して当然反対していますが、一方で自分たちでもう一回八〇年代の時のことをきちんと学ぼうということをしています。たとえば、KEY内部でですが、北大阪という地域のメンバーが、崔善愛さんが書かれたこのブックレット「『自分の国』を問いつづけて」を題材にした短い創作劇を発表したりしました。
この本は実際に劇化されたんですよ。木山事務所という劇団がつくった劇作で、今から三年前に俳優座で公演されました。日韓友情年のプロジェクトの一つとして、韓国のソウルと釜山でも上演されたんです。若村麻由美さんが主演で、作家は堤春恵さんという日本人の方です。俳優座の公演は全部売り切れで、大変反響があったんです。新聞にも何回か文化欄で紹介されました。
―このブックレットの発刊から八年が経ちますが、今振り返られて、何か変わったと思われることはありますか?
社会はもちろん流れていますから変わっている部分もありますが、底流の部分は変わっていません。変わったのはある意味私自身だったかもしれないですね。指紋押捺拒否というわかりにくい行動に出ることによって、周りの反応が本当にたくさんあって。音楽だけやっていたらわからなかったことがいっぱいありましたよ。それを見ることによって、自分自身が変わった、目を見開かれたという感じでしょうか。
指紋にこだわるようになったのは、私が二一歳の時でした。その頃私の妹が一四歳になって、自分は指紋を押したくないと言い始めたんです。アボジも私も、一四歳の彼女だけがそういう法律違反をしたらどうなるかわからない、じゃあ私たちは家族としてこのことをどうするんだという話し合いをしたんです。私は妹に「何で指紋押したくないの?」と詰め寄りました。そういう不条理なことは世の中いくらでもあるから、ある程度ガマンして真面目に生きていくしかないんだよ、と。認めてくれる人たちは認めてくれるし、認めてくれない人は認めてくれない、というようなスタンスだったんですね、当時の私は。
そう言いながらも、その頃被差別部落出身の友達と出会った時に、どうしていつまでも部落差別は続くんだろうと思いました。制度自体はなくなっているのに、意識が変わっていないから、私のその友人も未だに部落出身であることを隠して生きざるを得ない。そういう状況がずっと続いているのは何なんだと思って。自分が朝鮮人であるということよりも、部落問題を聞いた時に本当に怒ったんですよ。自分が置かれている状況って客観的に見ることができなくて、自分が苦しんでることすら自覚できないで来たと思うんですね。あるいはその苦しみはもう取り除けないというふうに思っちゃったりする。
でも妹は「私は押したくない。友達は押さないのに何で私は押さなければならないの?」と。すごく単純なんですけど(笑)、それを聞いて、こういう苦しみ、不条理なことをいつまで繰り返さなければならないのかと思いました。別に裁判するつもりは全くなくて、こんなことを繰り返してちゃいけないと思って何となく拒否したんだけど(笑)。まさかこんなに問題が発展するとは思わなくて、ただほんと個人的な、家族的な悩みとして最初やりました。当時韓宗碩さんの次に拒否したのが私のアボジで、その一週間後ぐらいに私がやったのですが、若い二〇歳そこそこの女性が拒否したということで、変に注目されてしまって。
―拒否をして再入国が不許可とされてしまいましたが、そういう方は当時結構いたのですか?
私が知る限りでは、百名もいなかった。運動が何年かかかって広がって、裁判もたくさん、いろんな場所で出てきたでしょ。そこで法務省が、このまま在日の反乱を見逃すわけにはいかないということで、指紋押捺拒否者に対して再入国許可しないという自由裁量が出てきた。これは結構後で、運動が始まって五、六年後だったかな。だから私、指紋押捺拒否した後に再入国もらって外国行っているんですよ。
再入国が不許可になったということは、もう日本に帰って来られないかもしれないということだから、指紋を押そうかなと迷った時期もありました。もうこれ以上犠牲を払えない。裁判もやったし。あと、もうとにかく日本を出たいという気持ちがあって。日本にいると、自分が日本人じゃない、在日だということ、この二つしかない。そういうのを取っ払いたくて。いつも日本人という鏡とか物差しを通してしか自分を見ることができないということに耐えられない、そういうふうに行き詰まっていたんです。ピアノがもっと上手になるためにというよりも、もっと根本的な問題のために日本を出たかったんです。
あと、日本の音楽教育に対する行き詰まりというか不信みたいなものもあって、自分が表現したいものが全然できないという気持ちもありました。で、あるハンガリー人の方の演奏を聞いて、「これだ!」と思って、早速その先生がいる大学を調べたら、米国の大学だったんです。その先生にテープを送ったりして、受け入れてもらって。そこの入学試験もパスして、入学許可証も来たのに、再入国が不許可なままで・・。もう指紋押すしかない、と。明日押すぞと決めて布団に入るんですよ。すると、自分の押している姿が上からぱあっと目の前に現れたんです。やっぱり絶対押せないと思って。それはもう理屈じゃないの。自分がやり始めたことによっていろんな人が影響を受けて、いろんなところで自分の言葉をしゃべって、まあ頑張った言葉をしゃべり過ぎちゃったのかもしれないけれど、それを全部自分でひっくり返すことになるじゃない?それに自分が耐えられるのかと本能的に考えた時、それはできない、と。じゃあ不許可のまま出たらどうなるんだ?そんな前例があるのかわからなくて、指紋拒否のことでお世話になっていた先生に電話して、「私不許可のまま日本を出たらどうなるんですか?」と言ったら、「うーん、永住権がなくなるかもしれないな。」って言われました。永住権がなくなるってどんな感じなんだろうと考えてみたんです。だって永住権は生まれつき持っていたから、永住権がないという状態を想像したことがなかったわけです。
ちょうどその頃、朝鮮奨学会というところで初めて朝鮮籍の友達ができたんです。その朝鮮籍の友達は立派な国立大学の医学部の学生で、その妹が指紋押捺を拒否したというので相談を受けたりしていて。それで「朝鮮籍ってどんな状態なの?」と聞いたら、その子は「永住権ないんだよ。」と答えました。当時なかった人もいたでしょ。留学もロシアにしかできないって言うの。朝鮮籍であるということが韓国籍の自分とこんなに違うということに、自分は今まで気付かなかった、ということに対する衝撃ね。永住権なんてぼくたち元々ないみたいなことを言われて、自分の中で何かがすっ飛んだんですね。永住権がなくてもこうやって立派に生きてるじゃないか、私もそこまで堕ちてみようって(笑)。
(以下、続く)
■指紋押捺が復活
■韓国旅券にも指紋が
■特別永住者
■ピアニストになるまで
■子どもたちを見て
【崔善愛(チェ・ソンエ)さんのプロフィール】
ピアニスト。北九州出身。愛知県立芸術大学卒業後、同大大学院修士課程修了。金城学院大学講師を務めた後、米国インディアナ大学大学院に留学。1989年帰国後、横浜と東京サンタ・マリアインターナショナルスクールで3年間講師を務める。大学時代に外国人登録の指紋押捺を拒否。そのため再入国不許可となるが、海外留学を決意。永住資格を奪われるが、訴訟を経て、2000年に特別永住資格を回復した。
現在、ピアニストとしての演奏活動の傍ら、全国各地で「平和と人権」をテーマに講演を行っている。著書に、「『自分の国』を問い続けて」(岩波ブックレットNo.525、2000年)。
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