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K-magazine 第26号


特集1 MESSENGER 朴保(パク・ポウ)さん(ミュージシャン)

 ロック、レゲエ、ソウル、朝鮮民謡を混在させたパワフルな音楽でライブ活動を続けている朴保氏。「反体制でなければロックじゃない」という言葉の通り、戦争と平和、反核・反原発等、その楽曲に込められた社会的なメッセージは強い。今年度もワンコリアフェスティバルにてトリを務めた朴保氏に、その活動の原点にあるものや音楽に対する想い、自らのルーツについてお話をうかがった。

■メジャーデビュー

―朴保さんは音楽活動をされる中で、平和運動や反核・反原発の活動などもされています。デビューされてから今に至るまでのお話をお聞かせください。

 デビューのきっかけは・・・。僕は東京の大学に行ったんです。大学行ったって言っても、毎日バンドしてたね。もうその頃はセミプロで、お金もらって仕事をしてた。僕のバンドは本当に画期的なことをやっていた。それこそ、ジャズだし、ロックだし、すごい融合したものを。まだライブハウスなんてなくて、初めて東京に一つ二つできた頃だよ。ある日、うちでやりませんかってスカウトされてね。いきなりメジャーデビューだからね。僕も嬉しかったよ。一九七九年にワーナー(アトランティック・レーベル)からデビューしました。

―日本名(「広瀬友剛」)でデビューするということについては、特に何か思わなかったですか?

 日本名自体は、おふくろの姓が「広瀬」で、「広瀬保」って名前で日本社会にいるわけで、僕の古い友だちはみんな「タモツ」って呼ぶしね。デビューは「広瀬友剛」と、人間軽いから名前だけでも重くしようって、そんな感じで(笑)。(フランスの文豪の)ビクトル・ユーゴーから来てるんだよね。それはそれで由緒ある名前だから。とにかく、ワーナーのアトランティック・レーベルって言ったら、その当時は憧れの外資系だった。アメリカの会社で、それこそ世界が認めたレーベルじゃないですか。そりゃもう、その時は名前なんてどうでもよかったですよ。とにかく一枚出してそこからだって。それだけで舞い上がってましたから。ところがデビューしたところ、社会の壁が待っていた。

 宋昌植の『ウエブロ』という曲でデビューしたんですよ。韓国のロックのヒット曲の日本語カバーだった。ところが、全然売れなかったっていう。

 新人は全国を旅してローカルのラジオとかテレビに出たりするんですね。アルバムの中に『松鶴寺』って曲があって、コンサートで必ず歌ってた。出だしから場内みんなに笑われるわけ。だから「これは韓国のこんな人の歌で、大変いい歌なんだ」というのを説明して、静かにしてもらってから歌った。どこ行ってもそうだった。三〇年前のことだからね、今みたいに韓流だのってないわけだから。蔑視が強かった。全国回ったけど、「これが日本の曲だったらよかったですね」ってみんなに言われて。

 でも僕はね、誰にも言わなかったけど、運命的な出会いだと思ったんだよ。これを歌えるのは自分しかいないだろうって。他の有名な歌手も歌いたがって、争奪戦があったんですよ。だって初めて韓国のロックのヒット曲を日本の人がどうやってカバーするかって注目されてたから。それに僕が選ばれたっていうのは、やっぱり運命かなって。

■民族音楽との出会い

 それで当時、宋昌植さんを初めて日本へ呼んで、「郵便貯金ホール」っていう大きいホールで二日間コンサートをやったんだ。そしたら宋さんが、「お前まだ(韓国に)来たことないんだろ?」って切符を送ってくれてね。やっぱり大スターだね。プール付きの家に住んでたよ、当時。

 実はその後すぐ、僕は演劇をやってたんですよ。短い間なんだけど、演劇やるためにパンソリだとか民族音楽だとか、一〇年かかってやっと会えるような先生にいきなり会えて、マンツーマンで教えてもらったんです。すごいラッキーだよ。その演出家は呉泰錫っていって、今は韓国の演劇界の会長ですよ。『草墳』っていう演劇で、新宿梁山泊(金守珍氏が代表を務める劇団)がやる前に日本で最初にやった。僕が音楽を担当して。自分は今までロックとか欧米の音楽ばっかりやってたのが、民族音楽に出会うことにより一気に変わっちゃいましたね。今まで何を追いかけてたんだろう、すごい音楽があるって。

 僕は「サムルノリ」(四種の伝統楽器を用い、農学(プンムルノリ)をアレンジした舞台音楽を演奏する、金徳洙氏が率いるグループ)がデビューしたのを韓国で見てるんですよ。一番初めを。すごかった。衝撃的だったね。世界中のあらゆる音楽、アフリカのリズムも入ってるし、ラテンも入ってるし。自分が元々ドラマーだから、リズムにすごく入っていったんですね。トランスするんだよ。もう心臓がドキドキして。いやあーって思ったね。

―朴保さんの音楽はそれに凄く影響されたわけですね。

 タリョン(打令)っていうリズムがあるんだけど、あれを自分のバンドに取り入れてやった。それで結構影響受けてくれた友だちだっていっぱいいるよ。

(以下、続く)

■「広瀬友剛」から「朴保」へ
■渡米、ネイティブアメリカンとの出会い
■日本の音楽業界の壁
■東日本大震災後の日本
■子ども時代
■アボジ、故郷の親戚たち
■音楽への想い これからの活動について

撮影:SAKASHITA


【朴保(パク・ポウ)さんのプロフィール】

1955年生まれ、韓国人の父と日本人の母を持つ在日2世。1979年に「広瀬友剛」の名でワーナー・パイオニアからメジャーデビュー。1980年に朴保に改名。83年に単身渡米、サンフランシスコでロックバンド「Ogie Yocha」、「Psychedelic Samurai and I」を結成し活躍。92年に帰国。その後も様々なバンドを結成・参加し、1997年には「朴保Band」を結成し活動。ピースボートには2度乗船しており、2001年には朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の両国でのライブを実現。毎年行われるワンコリアフェスティバルなどのイベントにも参加している。

ドキュメンタリー映画『A』(森達也監督1998年作品)、日韓合作映画『夜を賭けて』(金守珍監督2002年作品、原作:梁石日、脚本:丸山昇一)の音楽を全面担当。オリジナル曲「傷痍軍人の歌」が、宋神道(ソン・シンド)さんの「慰安婦」裁判の闘いを追ったドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』(安海龍監督2007年作品)のエンディングテーマとなる。

▼公式ウェブサイト: http://www.pakpoe.com/



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