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北朝鮮食糧難の現状について
北朝鮮では、1995年以降100年に1度と言われる大規模な洪水やそれに続く干ばつや台風などの自然災害が発生し、特に農業は壊滅的な打撃を受けました。それ以降、国際社会による食糧援助が行われていますが、最新の食糧状況、そして、国際社会の支援状況はどのようになっているのでしょうか?
○2001年度穀物生産量
食糧農業機関(FAO)及び世界食糧計画(WFP)が昨年11月に発表した報告書によると、2001年から2002年にかけて北朝鮮は、穀物およそ354万トンを生産することとなり、それは、1995-1996農業年以来、最高の生産量 となります。一方で、食糧生産量のかなりの回復にもかかわらず、2001年から2002年にかけての穀物総利用ニーズは501万トンと見積もられ、ゆえに、147万トンの不足が予想されています。予測される10万トンの商業輸入があるので、137万トンが食糧援助および譲渡契約の食糧輸入でカバーされる必要があることが明らかになりました。とりわけ、脆弱さの査定に基づいて、特に都市部での幼児、妊娠中・授乳中の女性、それに老人といった最も危険な状態にあると思われる住民グループのために、穀物52万5千トンと他の食料8万5千トンからなる、およそ61万トンの食糧援助が集められることが報告書で勧告されました。
○水害による被害
北朝鮮全国的には1995年以降の最大の穀物生産を記録しましたが、一方では、様々な自然災害の悪影響を受けている地域があります。2001年10月9日と10日、江原道における豪雨と高波により洪水が発生し、強風は住宅や学校、工場の屋根を吹き飛ばしました。81名が死亡し、84名が重傷、33名が行方不明となっています。調査によると、4000戸の住宅が完全に破壊されたり、居住不能になったことが確認され、政府発表では31500戸の住宅が被害を受けました。 国連人道問題調整事務所(OCHA)は洪水被害に対する緊急支援として、▽5000トンの食糧▽30000枚の毛布▽12000組の下着、靴下、靴▽500,000人分の抗生物質と下痢薬▽復旧作業用の道具(600トンのディーゼル油、300トンのガソリン、12000トンのセメント、120トンの鉄板、60トンの鉄棒)などの必要性を訴えています。
○国際社会による北朝鮮への援助状況
国際社会による北朝鮮への食糧援助は1995年以降北朝鮮に対する人道支援を続けられてきました。なぜなら北朝鮮の人々の食糧難の問題は現在の世界の最も大きな人道問題の一つであり、北朝鮮自らだけでは対処できない状況が続いてきたからです。 しかしながら、WFP報道官によると、北朝鮮向け食糧支援への加盟国からの拠出が大幅に不足する状況を迎えています。これまで数年、同機関は、2月末までに北朝鮮への年間食糧支援必要量 の50パーセントの支援約束を得ていました。しかし、2002年については、WFPはその必要量 の25パーセントしか得ていません。支援を約束した国も、アメリカ・韓国それぞれの10万トンレベルの支援にとどまっています。1日1人当たり、主にコメとトウモロコシで300グラムの現在の政府配給は、200グラムくらいになるのではないかと推測されてもいます。政府配給はすでに、世界保健機構が推奨する1日1人当たり630〜640グラムの必要最低食料の半分以下であり、国際援助がきわめて重要になっています。
また、最も危険にさらされている支援目標の北朝鮮の人々、640万人への援助向けとしてWFPが要請した食糧援助61万1,202トンのうち、同機関はこれまでのところ、わずかに15万5千トンの援助約束しか得ていません。WFPは、今年まだ砂糖の寄贈をまったく得ていないので、特に危険な幼い子どもたち向けに食べさせる栄養強化ビスケットと混合食品の砂糖含有量 をすでに減らさざるをえなかったことを明らかにしています。WFPによる食糧配分は、政府配給を補充するものですが、それは、主に学齢期の子どもたち、老人、妊娠中・授乳中の女性といった640万人の人々を目標にしているだけであり、食糧不足は、特に都市部での大多数の世帯にとって依然として問題となっています。
○食糧援助とともに開発復興援助の必要性
北朝鮮への援助は、初期の食糧中心の援助から中長期的な復興を視野に入れた開発援助へと流れが変化しつつあるといえます。二毛作の導入や林業の多面 化、植林などの計画、農業環境復旧事業への着手、肥料製造などに代表される農業環境を改善する事業や、電力不足を解消するための発電事業なども積極的に展開されています。
○北朝鮮人道支援へのご支援・ご協力を!
以上見てきたように、北朝鮮における食糧生産の増大、開発復興援助の展開など、北朝鮮社会が持続可能な発展を遂げるための様々な肯定的な変化が見られています。一方で、食糧生産が増大したとはいえ、食糧援助がなければ北朝鮮の食糧需要を満たすことができない現状には変化がありません。にも関わらず、国際社会の北朝鮮への食糧援助熱が徐々に冷めつつあるという否定的な動きも見られています。私たちはこのような状況下では、北朝鮮への継続的な食糧援助が依然として必要とされていると考えます。今後も、羅先地域子ども結縁事業を通 じて、微力ながら北朝鮮の子どもたちへの食糧援助を続けていきたいと考えています。
白頭山に遠足に行った子ども
崔チョンヨン(韓国JTS)
今日ふと、壁にかけてある白頭山の絵を見上げる。両江道に住む中国から来たヒョクチョルを思い出した。延吉でヒョクチョルと会ったある日、私は、白頭山に登って天池を見たと誇らしげに話したので、自分が人民学校に通 っていた頃、白頭山に遠足に行ったと言った。白頭山に行って、天池で肉も食べたと言って・・・韓国では行きたくても、一生に一度も行けない人がいるのに、しばらくの間うらやましがったことを思い出した。
白頭山を町の裏山のように遠足に行ったヒョクチョルは母親と共に弟二人を連れ生活をしていた。食糧難が切迫すると、ヒョクチョルが中国の親戚 のところへ行って食料をもらいに行き始めた。豆満江川沿いの親戚の家で過ごしたが、公安にばれそうになったこともあった。それで、その家から出て、村を歩き回った。おなかが減ると、ご飯時に、どこかの家の前に行き、立ちつくして、与えてくれるとすぐ食べて、生きた。その後に延吉に入って、他の朝鮮の子どもがあちらこちら歩き回り、人々を訪ねて「北朝鮮から来ました。一度だけ助けてください」と言って、市場で物乞いをしてお金を集めるので、ヒョクチョルもそうし始めた。その通 りでそのようにして、もらい始めたお金を集め家に帰り、母親にあげてくることもあった。その数百元で、弟と母親が数ヶ月食べて生きることができるためだ。
しかし、公安は随時通りを捜索し、時には子どもを捕まえ手錠をかけて監獄に連れて行き、電気こん棒で殴られているうちに中国で生活すること自体が恐ろしくなった。時には公安に追いかけられ、値段の安いレンタルビデオルームでも寝ることができず、工事現場で周りに残っていたベニヤ板を敷いて空を天井にして、他の友だちと体をすくめて寝ることもあったし、時には韓国人と会いお腹一杯食べてみることもあったし、食べ物を求めることのできない日には、北朝鮮でと同じく一日中飢えながら、河の水でお腹を満たすこともあり、まさに町の子どもとして大きくなっていった。
そのようなヒョクチョルがある日に頼みがあると話を切り出した。「おばさん、僕の働くところ、調べてください」と言った。はじめは分からなかったが、もう、人前でお金を貸してと手を差し出すのがとても恥ずかしくて、町に出てそうするのがいやだと言った。
その際に私たちの側でも北朝鮮の子どもを保護することができ、仕事をさせることができる方と連携していたことで、出会う子ども達に目を注いでいたつもりだった。そこで、まずヒョクチョルをまず送ってみて、安全性が保障されるなら他の子どもを送るというようにしてみようということでヒョクチョルを送った。町をさまよって、過ごした子ども達は家で保護しようといっても、窮屈で自ずと出てしまいたくなる場合が多く、心配されたが、一旦は信じるに値すると判断して送った。
しかし、ヒョクチョルもその工場から出て行ってしまった。去る時、電車の駅で、1年後には必ず私がヒョクチョルに会いに行くつもりだから、その時まで必ずそこにいなければならないよと約束したのだが・・・1年だけしっかりと過ごせば、技術も全部学んで、中国語も学び、すぐに中国戸籍も得ることができるだろうと社長さんがそうおっしゃったのに・・・その歳なら、それほど幼くないので、やくざ組織に引っかかっていくと抜け出していくことも難しいのに・・・今はどこかで一人でさまよっているか、そうでないなら、北朝鮮に再び送還されたのか・・・ このような話が今も起こっている北朝鮮の子どもたちの現実で、北朝鮮は今年も依然として一日に一握りの米で生きていかなければならない、80万トン以上の海外援助が必要だという。また、これからも何年かはこのような状況が持続するであろうと報道されている。全般 的に飢え死にすることは免れたが、依然として一日一日をおかゆで続けているという話だ。今は目に見えた子どもたちが皆どこに行ったのか分からないが、北朝鮮内の子どもたちは依然として、彼と同じように困難なのだろう。大人はおかゆを食べて生きているが、育ち盛りの年頃の子どもたちは繰り返すまでもない。
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