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北朝鮮人道支援のための日・韓・米共同キャンペーンを開催
−日本3都市、韓国3都市、アメリカ1都市で行いました−
去る4月2日「北朝鮮人道支援のための日・米・ 韓共同キャンペーン〜いのちを守り平和な未来を〜」が開催されました。このキャンペーンは、昨年開催された、第3回日本−在日−韓国・ユース フォーラムにおいて、北朝鮮人道支援問題を話し合ったワークグループが提案し、ユースフォーラム日本準備委員会の主催で開催されることになった行事です。この日のキャンペーンは、日本の東 京・大阪・兵庫、韓国のソウル・釜山・大邱、アメリカのロサンゼルス、計3カ国7都市で一斉に開催されました。各国・各地域の報告を行います。
日本の大阪では、在日コリアン青年と日本人青年及び日本に留学中の韓国人など約50人が参加し、JR鶴橋駅前、難波高島屋前、大阪城公園でキャンペーン活動を行いました。JR鶴橋駅前、難波高島屋前ではビラ撒きや募金活動とともに、 北朝鮮の子どもの写真展示も行いました。特に、近辺が在日コリアン多住地域であるJR鶴橋駅では、多くの人が募金に協力してくれ、また、立ち止まって北朝鮮の子どもの写真を見つめる人々も大勢いました。
大阪城公園では北朝鮮の子どもの写真展示に加え、北朝鮮へ支給している栄養食の 試食コーナなどを設けました。また、韓国の民族 楽器パレードなども行いました。当日は、花見客も多く、たくさんの人々に募金に協力していただきました。
兵庫は、在日コリアン・日本人の青年学生約50人が参加し、JR三ノ宮駅前噴水広場とフェニックス会館前の2個所でキャンペーン活動を展開しました。当日は、ビラ撒きや募金活動はもちろんのこと、北朝鮮の子どもたちが描いた絵や北朝鮮の子どもたちの写真展示コーナ、北朝鮮の飢餓の状況を解説したビデオの上映コーナも設置しました。神戸一番の繁華街ということで多くの道行く人々の注目を浴びていました。また、朝鮮半島の絵を描いたパネルに、募金者の数だけの花を飾るというパフォーマンスを行い、合計で230人分 の花がパネルに飾られました。
東京は、明治大学リバティータワー前で、約30人が参加し、開催されました。東京でも絵の展示や栄養食の試食などを行いましたが、その他に「知っとけ!ノースコリア!」と題した○×式の北朝鮮を知るためのクイズや、韓国の民族楽器の演奏などを行いました。たまたま通 りかかった韓国のお坊さんが加わったり、クイズや楽器の演奏に一般の通行人が加わったりしながら開催されました。 日本の3都市で合計約130人の青年・学生が参加し、300,872円の募金を集めることができました。
同日、韓国のソウル・釜山・大邱で開催されたキャンペーンには合計220人ほどが参加しました。ソウルは明洞と仁寺洞の2個所で開催され ました。写真や絵の展示、栄養食の試食などの他に、文化公演、北朝鮮を正しく知るクイズなども行われ、特に、文化公演として行われた鎮魂劇が 注目されていました。韓国3都市で、3,459,290 ウォンの募金を集めることができました。
今回のキャンペーン活動を通じて、参加人数や募金額などの成果を見るにつけ、私たちは国境を越えたキャンペーン活動の影響力の大きさを実 感することができました。同時に、北朝鮮の子どもたちへの直接支援活動を継続し、日本における 北朝鮮人道支援の世論をより一層高めていくための、継続的な努力の必要性も痛感させられました。
なお、今回のキャンペーン活動を通じて、日本で集められた募金300,872円は、キャンペーンにかかった実費(ビラの印刷代など)を差し引き、JTSを通じて、羅津・先鋒の幼稚園・託 児所に通う子どもたちの支援のために使われます。
子ども結縁報告:現地では食べることが薬です
幼稚園の子どもたちは1月に学校が休みになりました。幼稚園に出てくれば、遊びもし、勉強も するのですが、栄養食を食べることができるために、子どもたちは幼稚園に行くことが好きです。
今は休み中なので、家にいますが、ごそごそと香ばしい栄養食を思い出す子どもたちは、休みで も時々幼稚園に出てきて、栄養食をちょうだいと言います。休み前には、少し前に分け与えたノートと鉛筆 で勉強もしました。ノートは破れず、鉛筆には消しゴムがついてあり、非常に便利で、子どもたちが好んでいます。子どもたちは文字もこつこつと綺麗に、誠意を込めて書きます。長く書くことができるように惜しんで書いています。
託児所は休みがありません。それで、ずっと託児所に出てきており、乳飲み子の赤ん坊には粉乳 を食べさせ、他の子どもたちには栄養食を食べさせます。子どもたちは皮膚もキラキラして、前より風邪や小さな病気にかかりません。やはり食べることが薬であると思います。
【JTS機関誌「美 しい世界」通巻22号(2000.3・4月) 北朝鮮特集 北側は本当に寒くて、飢えているところです】
尹ギフィ(韓国JTS常任理事)
私は、去る2月4日−2月5日の二日間北朝鮮 の南浦を訪れた。 国際トウモロコシ財団で送る肥料と衣類を載せ た船に乗って、ウルサン港を出発し、二日間の航 海後に、南浦入り口に到着したのが2月4日の 朝。しかし、南浦前の海が凍り付き、船が前に進 むことができず、午後になってようやく氷を割っ て、南浦港に入ることができた。 北朝鮮が自慢する西海関門を通過し、南浦港まで2時間かかる。
しかし、非常に奇妙だった。明らかに、南浦港周辺に南浦市街地ががあるものと期待して、初めて見る北朝鮮の都市の夜景をきち んと見たいと、船の甲板の上をあっちこっち行き きしながら外を眺めたが、灯りが全く見えない。 私はその理由を港に到着して知るようになった。 夜10時ごろ船から下り、北朝鮮の農業科学院 局長先生(平壌から来た)について、ホテル(メンバ ークラブ)に行ったが、周辺がすべて真っ暗で灯り一つ見えない。私を案内し、2階の食堂に行く ホテル職員が手に入ったものはライターだけで、 食堂もろうそくの光で灯をともしている。持ってきた食事も全部少しだけ温めて、ぬ るい。当然、 暖房もだめである。今日の気温は零下17度だが、 ホテルの部屋も電気が入ってきておらず、暖房が だめであるのは同様だ。言葉だけで聞いていた北 朝鮮の電気と燃料事情を直接感じることができた。 一日に1−2時間しか電気が入ってこない。肩 書きが、南浦にある外国人のためのホテルがこの 程度なので、いわんや、一般住民はどのような状 況にあるのか問わなくてもわかる。しかも、私の部屋で毛布を3枚重ねて眠ることができたのであって、他の人々は家も粗末で、服や掛け布団もな く、この寒い冬を過ごしていると考えると胸が痛 む。凍死や凍傷にかかる人は、また、どれくらい 多いのか。 食べることも同様だ。
私が北朝鮮に到着した 次の日が民族の最大の名節である旧正月だ。しかし、名節の雰囲気は一つも見ることができない。 昨日の夕方は平壌から来た2名と共に海産物料理 の夕食を食べたが、今日の朝は私1人食べたんだ。 自分たちは別に食べると言ったが、彼らは、おそらく、朝を食べなかったか、そうでないなら、私 が残したおかずでご飯を食べたのだろう。一般住 民に対する公式的な配給は中断され、官吏たちにも1週間や10日位 の配給しか入っていないなら、 そうせざるをえないと思う。 彼らは、急いで私を送り出す。自分たちの困難 な事情を長く見せることが決まり悪いように見え る。いくらそうであっても、南側から来たお客を 旧正月の名節の日に昼食も与えないで、送り出す ので名残惜しいこともあった。しかし、私が名残 惜しいことより、ただそのまま送る彼らの心は、 もっと痛いと思うので、私がむしろ申し訳ない。 ホテルを出て、彼らとお別れの挨拶をする。たとえ、いくつかの事情で、言葉で表現はできない が、同じ同胞として互いの感情と感覚は一つであると思う。短い出会いの後に別れが私に深い余韻を残す。
「尹先生 無事に帰ってください。私たちはも う一度会いましょう!」
もう一度船に乗って、南浦港を発つ時、彼らが 手を振りながら私に叫んだその言葉がずっと私の耳にくるくる回る。そして、今私たちが彼らのために何をしなければならないのかを胸深く刻んでみる。
【JTS機関誌「美しい世界」通巻22号(2000.3・ 4月)】
JTS活動報告:2000年2月、3月
●尹ギフィ常任理事北朝鮮南浦訪問 1月31日〜2月10日まで「国際トウモロコシ財団」の肥料伝達のために、韓国JTSの尹ギフィ理事が南浦を訪問しました。北朝鮮の実状を感じることができる機会であり、渤海湾がかちかちに凍りつき3日間海に閉じ込められてから中国を経由し、10日ソウルに到着しました。帰国後、2 月11日浄土会実務者を対象に北朝鮮訪問報告会を持ちました。
●2次分栄養食原材料北朝鮮に送る 羅津・先鋒地域幼稚園・託児所の子どもたちに与える栄養食の原材料 砂糖10トンと粉乳5トンを去る3月1日釜山港から、羅津に送りました。今回の船積みは今年に入って北朝鮮に送った 2回目の支援です。
●2000年北朝鮮農業支援事業確定 今年、北朝鮮農業支援のための支援対象の有情を選定し、国際的な支援物品と数量、時期などを合意している中で、3月末から支援が始まる予定です。JTSは今年、北朝鮮農業支援のための肥 料、農薬、ビニールなど農業資材を送る計画です。
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